マルチエージェントシステムとは?中小製造業がAIを工程ごとに使い分ける方法

「AIに面倒な受注処理を任せたい…」

こういったご相談を受けたとき、当社はまず業務工程を細かく分けてお聞きします。受注データの受け取りなのか、見積り作成なのか、それとも生産計画の立案なのか。

一括りに「受注処理」と呼んでいる仕事も、実際には複数の工程で構成されています。工程ごとに扱う情報も、判断の基準も、誤りが発生したときの影響度も全く異なります。

マルチエージェントシステムとは、このように工程ごとにAIの担当を分ける仕組みのことです。

この記事では、中小製造業の受注から出荷までを例に、マルチエージェントシステムの基本的な考え方を整理します。工程を分けることで得られるメリットだけでなく、それに伴って増える手間の両面について分かりやすく解説します。

この記事では、マルチエージェントの概念に絞って解説をいたします。

導入を検討している段階の方は以下の記事をご覧ください。

目次

AIエージェントとは何か?

本題に入る前に、まずは前提となる用語を整理しておきましょう。

指示を待つAIと、作業を続けて進めるAI

生成AIの使い方は、大きく二つに分かれます。。

  1. 指示を出して結果を受け取るAI
    文章の作成、要約、翻訳など、人が指示を出し、AIが答えを返して処理が終了するタイプです。
  2. 目的を伝え、手順は自分で決めるAI
    「注文書から数量と納期を読み取り、在庫を確認して、足りなければ調達依頼を出す」といったように、途中のプロセスをAIが自律的に判断して進めるタイプです。

この後者のアプローチをAIエージェントと呼びます。答えを返して終わるのではなく、次の工程へ自分で進む点が特徴です。

AIエージェントには自律型とワークフロー型がある

さらにAIエージェントには、自律型とワークフロー型の2種類があります。

  • 自律型
    作業の目的を指示すると、進め方そのものをAIが考えて動く。ニュースなどで見かける「AIエージェント」は、こちらを指していることが多い。
  • ワークフロー型
    業務の流れは人が設計して固定し、それぞれの工程の中身の判断をAIが受け持ちます。

受注・見積り・請求といったバックオフィスの業務に向くのはワークフロー型です。本記事で扱う工程ごとの使い分けは、ワークフロー型を前提にしています。

シングルエージェントとマルチエージェントシステムの違い

ひとつのAIエージェントがすべての作業を担当する構成をシングルエージェントと呼びます。

一方、複数のエージェントがそれぞれ専門の担当を持ち、連携しながら一連の業務を進める構成をマルチエージェントシステム(Multi-Agent System / MAS)と呼びます

どちらか一方が絶対的に優れているというわけではありません。扱う業務の性質に合わせて選ぶことが重要です。次の章から、その判断材料を整理していきます。

シングルエージェントに全工程を任せると起きること

受注から出荷までの全工程を、ひとつのエージェントにすべて任せる——これが最も単純な形です。

しかし、実際の現場で試してみると、さまざまな問題が生じます。当社が開発初期に直面した課題も含め、代表的な4つのケースを挙げます。

指示が長くなり、精度が落ちる

工程が増えるほど、AIに渡す指示(プロンプト)の量が増えていきます。

受注の読み取り方、見積りの計算ルール、在庫の確認方法、出荷手順……これらすべてを1つの指示に詰め込むと、AIは一部の条件を見落としやすくなります。特に「この取引先の場合は単位が異なる」といった例外条件は、長い指示の中に埋もれて忘れられがちです。

どこで間違えたかが分からない

出力結果に誤りがあったとき、原因の特定が困難になります。

「注文書の読み取りミス」「在庫確認の漏れ」「最後の計算エラー」のどれなのか、すべての処理がひとまとめになっているため途中の思考プロセスが見えません。現場から「数字が違う」と指摘されても、どの部分を修正すべきか判断がつかなくなります。

一箇所を直すと別の箇所が壊れる

見積りのロジックを変更するために指示を修正したところ、関係のない「受注の読み取り精度」まで変わってしまうような現象が起きます。修正のたびに全体をテストし直さなければならず、改善を進めるほど確認の手間が増えてしまいます。

止めたい工程だけを止められない

「見積り作業だけは当面、人が行いたい」といった現場の要望が出たときに、その工程だけを切り離すことができません。「すべてをAIに任せるか」「すべてを人がやるか」の二択になってしまい、段階的な導入が進まなくなります。

マルチエージェントシステムの仕組み

こうしたシングルエージェントの課題を解決するアプローチが、マルチエージェントシステムです。

役割分担と受け渡しでつなぐ

工程ごとに専用の担当エージェントを配置し、処理結果を次の工程へと受け渡していきます。

これは人間の組織で部署を分けるのと同じ理屈です。「営業が受注を取り」「設計が図面を引き」「製造が作り」「出荷が送る」といったように、各自が専門の役割を果たして次へバトンを渡します。

各エージェントは自分に割り当てられた作業に必要な情報だけを保持します。受注を読み取るエージェントは、出荷の手順まで知っておく必要はありません。

オーケストレーターが全体を束ねる

工程を分割すると、全体の流れをコントロールする「指揮者」の役割が必要になります。これをオーケストレーターと呼びます。

オーケストレーターは、どのエージェントをいつ動かすかを制御します。前の工程が終わったら次を呼び出し、途中で問題が発生したらアラートを出す役割を担います。工程をただ細かく分けること以上に、この束ね方の設計がシステムの出来を左右します。

役割を分かることで可能になること

工程を分割することで、主に以下の運用が可能になります。

  • 工程ごとに正しく動いているかを測定・評価できる
  • 問題のある一つの工程だけを個別に修正・差し替えできる
  • 特定の工程だけを「人が担当する」形に変更できる
  • どこで処理が止まっているかが一目で分かる

受注から出荷までを工程ごとに分担する

金属加工会社をモデルケースに、工程ごとの具体的な役割分担を見てみましょう。

受注の受け取り

FAX、メール、電話などで届く多様な注文情報を、統一されたデータ形式に整えます。

AIが行うこと
画像やテキスト、音声から品番・数量・納期を自動抽出する

人が確認すること
読み取れなかった項目や、判読しづらい手書き部分

失敗時のリスク
数量や品番の取り違え

見積り

過去の類似案件データを照会し、金額案を算出します。

AIが行うこと
材質・寸法・数量が近い過去実績を検索し、ベースとなる金額を算出する

人が確認すること
算出された金額の妥当性(最終決定は必ず人間が行う)

失敗時のリスク
不当に安い見積りを提示してしまい赤字になる

※社外に提示する金額は必ず人が確認・承認します。この工程を完全自動化してはいけません。

図面と仕様の確認

注文内容と図面の記載内容を照合します。

AIが行うこと
材質、公差、表面処理の指定内容を突き合わせる

人が確認すること
図面に書かれていない「暗黙の了解」や取引先ごとの特殊な慣習

失敗時のリスク
加工後に仕様違いが発覚する

※図面に明記されない前提条件が多いため、人のチェック比重が高い工程です。

生産計画

設備の稼働状況と納期を照合します。

AIが行うこと
各設備の空き状況を確認し、最適な割り当て案を作成する

人が確認すること
段取り替えの手間や、職人の得意・不得意の考慮

失敗時のリスク
納期に間に合わない無謀な計画が組まれる

進捗の記録

現場からの作業完了報告を受け取り、進捗ステータスを更新します。

AIが行うこと
完了報告を受けて次の工程へステータスを進める

人が確認すること
現場で異常や遅延が発生した場合の判断

失敗時のリスク
進捗データと実態がズレる

※社内で閉じる工程のため、失敗してもリカバリーが容易であり、人のチェックを軽量化しやすい領域です。

出荷と請求

伝票や請求書を作成します。

AIが行うこと
出荷指示書および請求書の原案を作成する

人が確認すること
請求内容の最終確認(外部に出す書類は人が最終承認)

失敗時のリスク 誤請求の発生

マルチエージェントシステムの利点

工程を分離することで得られるメリットを、順を追って見ていきましょう。導入の可否を判断する重要な材料となります。

工程ごとに精度を測れる

「受注読み取りの精度は高いが、見積りの精度が低い」といった客観的な判断が可能になります。システム全体に対して漠然と「うまくいかない」と頭を悩ませるのではなく、どこを改善すべきかが明瞭になります。

測定の仕方も具体的になります。受注の読み取りなら「品番と数量を正しく読み取れた割合」、見積りなら「人が修正を行わずに承認できた割合」など、工程ごとに実用的な指標を設定できます

指標が数値化されれば社内の議論も変わり、「AIは使えない」という極端な話ではなく「見積りの精度が7割にとどまっているため、ここを改善しよう」という前向きで建設的な会話が生まれます。

一つの工程だけを差し替えられる

見積りの算出ロジックを変更したい場合、見積り担当のエージェントだけを作り直すことができます。他の工程に影響を与えることはありません。

業務を取り巻く環境は常に変化します。新しい取引先が増えれば注文の様式が変わり、設備を更新すれば生産計画の立て方も変わります。システム導入時の前提条件が1年も経てば変わってしまうことは珍しくありません。

工程を分けておけば、変更があった箇所だけを修正でき、システム全体を作り直す必要がなくなります。この違いは将来的な運用保守費用にも直結します。

途中で処理を止められる

「見積り作業だけは当面、熟練の職人が担当したい」という柔軟な運用が可能です。その工程だけを人間が引き受け、前後の工程はAIに任せるといった段階的な適用を進められます。

これは導入時の現場の抵抗感を減らす上でも有効です。「すべての業務をAIに任せる」と聞くと現場は身構えてしまいますが、「まずは受注票の読み取りだけを試してみる」という形であれば合意形成がスムーズになります。

また万が一不具合が発生した場合でも、問題のある工程だけを手作業に戻し、他の工程は動かし続けることができるため、業務全体を止めるリスクを防げます

誰の判断が必要かがはっきりする

工程ごとに「どこで人の確認が必要か」を明確に定義できます。

「金額と数量の決定は人間が承認し、それ以外のデータ整理はすべてAIに任せる」といった線引きを工程単位で設定可能です。

これにより責任の所在もはっきりします。人間が承認して責任を持つ工程と、AIが処理を担当する工程が分かれるため、「AIが勝手に処理を行ってトラブルになった」という事態を防ぐことができます。

現場ボードに表示された業務フロー

担当ごとに必要な情報だけを持たせられる

受注を読み取るエージェントに、出荷の手順まで教えておく必要はありません。担当する業務に必要な最小限の情報だけを渡します。

渡す情報を絞り込むことで、関係のない指示が混ざらなくなり、結果としてAIの処理精度が向上します

また、社外に出せない機密情報の管理も容易になります。例えば単価の計算ルールを知る必要があるのは見積り工程のエージェントだけであり、他の工程のエージェントにはその情報を保持させずに済みます。

複数の工程を同時に動かせる

処理の順番が決まっていない工程同士は、並行して同時に進めることができます。

例えば「図面の仕様確認」と「過去在庫の照会」の2つの作業は、お互いの結果を待つ必要がありません。

これらを同時に実行させることで、全体の処理時間を大幅に短縮できます。ひとつのエージェントで上から順に処理する場合はどうしても待ち時間が積み重なってしまいますが、マルチエージェントであれば並行処理が可能です。特に繁忙期などで案件が集中する時期ほど、このスピードの差が大きな価値を生みます。

引き継ぎと説明がしやすくなる

工程が細分化されているため、システムが「具体的に何を行っているか」を第三者へ容易に説明できるようになります。

導入されたシステムが特定の担当者にしか理解できないブラックボックスになってしまうと、かつての『Excelマクロの属人化と退職リスク』と同じ構造の問題を引き起こします。工程ごとに役割が分かれていれば、「この工程では注文書から品番を読み取っています」といったように、現場の担当者にも挙動をわかりやすく共有できます。

特に事業承継を控えた中小企業において、社内業務の仕組みを透明化し説明できる状態にしておくことは、スムーズな引き継ぎの不可欠な前提条件となります。

マルチエージェントシステムの課題

マルチエージェントシステムはないも良い面ばかりではありません。導入前に把握しておくべき3つの負担や注意点があります。

エージェント間の「情報の引き継ぎ」を設計する必要がある

工程Aの出力が、そのまま工程Bの入力データとなります。「何をどのフォーマットで渡すか」を事前に厳密に定義しておく必要があります。ここが曖昧だと、工程の境界で必要な情報が抜け落ちてしまいます。

エージェント間でどこまで情報を共有させるかの設計も重要です。全ての情報を共有させてしまうと、結果としてシングルエージェントの構造に戻ってしまうため注意が必要です。

全体像を可視化する仕組みが必要になる

工程が細分化されるほど、案件全体の進行状況が見えにくくなります。「いまどの案件がどの工程で止まっているか」を一目で確認できるダッシュボードなどの仕組みが不可欠です。当社では、工場現場に大型ディスプレイを設置して常時表示する仕組みを運用しています。

現場ボードの承認ログ

設計と運用の初期コストが増加する

例えば6つの工程に分ける場合、6通りのプロンプト(指示文)を作成・チューニングする必要があります。運用開始後も、工程ごとに挙動をチェックする手間が生じます。

最初からすべての工程を一気に分けようとすると設計が終わらなくなってしまうため、後述する段階的な進め方を推奨します。

人が承認する箇所(Human-in-the-loop)を決める

マルチエージェントシステムであっても、すべての工程を自動化すべきではありません

「社外に発信する情報」および「後から取り消しができない処理」については、必ず人間が承認するプロセス(Human-in-the-loop)を挟みます。

【人が承認すべき重要工程】

  • 見積金額の提示
  • 資材・部品の発注処理
  • 納期の回答
  • 請求金額の確定

これらは万が一ミスが発生した場合、取引先に直接的な迷惑がかかります。「AIが案を作成し、人が最終確認して承認する」というフローを徹底してください。

一方で、データ整理、進捗記録、社内資料の下書き作成といった社内で完結する処理は、積極的にAIへ任せて問題ありません。

マルチエージェントシステムを構築するフレームワーク

工程を分離・連携させる仕組みをゼロから自作する必要はありません。現在は、エージェント開発を支える優れたオープンソースフレームワークが公開されています。

  • LangGraph
  • CrewAI
  • AutoGen

これらは、工程同士のバトンパス、途中で処理を一時停止する仕組み、状態の保存など、マルチエージェントに必要な基本機能をあらかじめ備えています。

システム開発を外部に依頼する際、経営者自身がこれらのツールを細かく比較・選択する必要はありません。ただし、もし開発側から「ゼロから自作する」と提案された場合は、将来のメンテナンス性やコストの観点から、その理由を確認しておくことをおすすめします。

中小企業がマルチエージェントシステムを始めるときのステップ

最後に、実際に導入を進める際の推奨ステップをお伝えします。

最初から全工程を分けようとしない

すべての工程を一度にシステム化しようとすると、設計だけで数か月を要してしまい、現場に価値が届くまでに時間がかかりすぎてしまいます。

最も「手戻り」が多い一工程から始める

まずは成果が出やすい1つの工程を絞り込みます。「受注票の読み取りミスが多い」「見積り作成に時間がかかりすぎている」といった、現場の具体的で深刻な課題がある工程を選びましょう。

2つ目の工程を追加するのは、1つ目が安定してから

最初の工程が約1か月ほど安定して運用できるようになった段階で、次の工程を追加します。同時に複数を変更すると、問題が発生した際に原因の切り分けができなくなります。

まとめ

  • マルチエージェントシステムとは?
    ⇒ 工程ごとにAIの担当を分ける仕組み。
  • 分けるメリット
    ⇒ 工程ごとの精度測定、個別の修正・差し替え、人による一時停止(承認)が可能になる。
  • 運用のポイント
    ⇒ 社外に出る金額や重要な意思決定には、必ず「人の承認」を挟む。
  • 進め方
    ⇒ 最も手戻りの多い「1つの工程」から始め、安定してから徐々に適用範囲を広げる。

工程数が多く、工程ごとに判断基準やリスクの大きさが異なる中小製造業の受注業務は、マルチエージェントシステムの考え方が非常に効果的に機能する領域です。

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この記事を書いた人

1981年生まれ、名古屋出身。

2008年よりドイツ・ベルリンに在住。
ドイツの国家資格である職業訓練プログラム「アプリケーション開発専門IT技術者」を修了後、医療系自社開発企業にてデスクトップ・Webアプリケーションの開発に4年間従事。
2022年よりドイツの大手SIer「Adesso SE」にて、フルスタックエンジニアとしてリードポジションを務める。

2027年に日本へ帰国し、日本の中小企業へのAI導入支援を本格的に開始予定。

著書「AI時代の海外移住戦略

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